
WEEKENDLESS II - 18
千歳空港に降り立ったときの私を捉えていたのは、ある種の懐かしさ、ともいえる気分であった。昔なん回も見た光景だ。
20年ぶりといってもいい場所だ。アメリカに移住する前、ゴルフに関する文章を多く書いていたころ、北海道で行われるトーナメントの観戦、取材のために、年に3、4回は訪れていた。青木功とジャンボ尾崎の激闘が語り継がれる全日空オープンも、やはり全日空オープンにやってきたグレッグ・ノーマンに5日間密着したことも、苫小牧でのあれはなんという試合だったろうか。あまりに多すぎて混乱してしまうほどだ。
いまこの時期の北海道はゴルフシーズンまっさかり。つい2週前の小樽の試合で石川遼が涙の完全優勝、ワイヤー・トゥ・ワイヤーを飾ったし、前週、苫小牧での女子の試合ではアメリカから帰ってきたばかりの上田桃子がプレーオフを制したばかりだ。
そんな時期と昔の記憶が折り重なって、デジャヴー、懐かしさになっているのだろうか。しかも今回の北海道は、私にとってもゴルフの旅となるはずだ。
レンタカーのステアリングを握って、空港週辺からいきなり郊外に出る。といっても千歳市街地がそのまま郊外のようなものだから、ばらばらの街並みをゆったり抜けることになるのだが、国道276号線、道西のメイン街道であるはずなのに道は広くなったり細くなったり、クランク上に折れ曲がっていたり、そのたびにGPSカーナビが右だ左だと世話を焼いてくれる。
いつしか平坦な道は軽い上り坂に変わり、周辺から民家は消え、両側を森や林に挟まれた山道へと進む。目的地まで約3時間とカーナビが教えてくれる。
早朝家を出るときに、いつものようにシリアルを食べただけで昼食をとっていない。だが心配はいらない。これから訪れる先で待機してくれている若者が、親切な道案内をファックスしてくれているので、それに従えば昼抜きのおそれはない。千歳から約2時間、山の中の街道沿いに「きのこ王国」というドライブイン風な食堂があるからそこで休憩昼食をとるように、とある。しかも食べ物はきのこのてんぷらに北海道産のそばとまで指定している。この若者、親切というか細かいというか、お節介というか、きのこ天ぷらそばのあとはさらに30分走ってなんとか自然公園の湧水を無料で味合うようにまでいってきている。ちょっとうるさいかな。
けれどもいわれたままに食したきのこ天ぷらそば。想像に余りある美味で、機会があればまた来たいとまで思ったほどだから、若者よ、きみは正しい。湧水はパスしたけれど、ね。
ニセコに向かっています。
札幌、千歳からまっすぐ西へ。支笏湖の南下を大きく回るように走ってその先に開けるのがニセコ盆地。蝦夷富士ともいわれる羊蹄山をはるかに眺め、イワオヌプリ、ニトヌプリ、アンヌプリといった山々の斜面をゲレンデにした日本有数のスキーリゾート。最近ではオーストラリアからのスキー客で満員になっていたのが、世界不況の影響で客足が途絶えているなどと、話題になってもいる。
もちろんいまはスキーシーズンではないが、このニセコにあるゴルフコース、ニセコ東急GCは知るひとぞ知る名コース。へき地にあるのでゴルフのためだけにやってくるひとは少なくても、ものの本によると最高のリゾートコースだともいう。だから私も夏のひとときをこの地で過ごすことにしたのだが、そこにあるひとりの若者の存在があった。
若者とは、小林淳吉。道案内、昼食ガイドに、妙に細かいお節介兄さん。
私の昔からの友人のひとり息子で、小さいころから見守ってきたというか、はらはらさせられてきた男だ。 ひとりっ子のせいか、過保護に育てられはしたようだが、その割にはすくすくと育ち、子供のころからテニスボーイ、東京に育ちながら高校はテニスの名門、松岡修造も学んだ九州のY高校に進んだ。将来はプロのテニスプレーヤーになりたいといっていた。
私自身、少年時代からテニス中心で育っていて、もし当時プロテニスというものが日本にあれば、その道に進んでいたかもしれなかったので、淳吉少年の行く末に期待していたのだが、この若者、高校を出るとあっさり競技テニスから離れてしまった。そのころ日本でも人気を集め始めていたスノーボードに夢中になり、プロテニスの道を捨てたのだ。
といってプロのスノーボーダーになるにはスタートが遅かったようで、遊びとして、スポーツとしてのスノボーだ。
だが、ここからがこの淳吉のはらはらさせられるところで、どこかに勤めて、冬の週末に雪山にスノボーを担いで行くという“普通の”パターンではなく、フリーターというか、優雅な御身分というか、秋になるとまだ雪もないうちにサッサと山に入り、ひと冬滑りまくって、春も遅く東京に帰ってくるという生活。これがなん年も続いた。
もちろん収入はアルバイト程度のもので、親のすねを齧っていたのだが、数年前から、アルバイト先、遊び場、冬の滞在地であったニセコのホテルに就職してしまったのだった。いついた、というべきか。
こうした時代、私はアメリカにいたので、淳吉情報は親から聞くばかりだったが、日本に帰ってきて間もないころ、淳吉が親と一緒にわが家に遊びに来た。すっかりおとなになっていた淳吉は、雪山暮らしの楽しさを得意げに語り、ゴルフ場があるのにゴルフを知らないのが悔しい、などと話した。
あとで考えれば、どうやらそれは催促だったらしく、そうとは気付かず、ひとの好い私は余っていたゴルフクラブをポンとプレゼントしたものだ。
それから3年、淳吉からの便りで、いただいたゴルフクラブのおかげですっかりゴルフに夢中になってしまったので、一度ご一緒しませんか、という。じゃ、招待してくれるのかといえばそんなはずはなく、勤めているホテルも系列のゴルフ場も安くするから、あとは自費で来い、という図々しい話であった。まったくこの若者は。
途中できのこ天ぷらそばを食べたにもかかわらず、予定よりかなり早くニセコに着いた私をホテルの前で待ち構えていたのは、白いワイシャツに黒ズボン、黒いネクタイといった見慣れない姿の淳吉。
「ジュンキチ!」
「いらっしゃい。送ってきたゴルフバッグとスーツケースは部屋に入れてあります。あのゴルフバッグ一式は帰るときには置いていってくれるんですか。今夜はこのホテルの1階のレストランで地元の会席料理です。明日のゴルフは8時36分のアウトスタートです。セルフカートのワンウェイですから昼過ぎには上がれます。それからこの車で出かけましょう。積丹のほうにおいしくて有名なすし屋があるんです。ぼくの給料ではめったに行けないんでお願いします」
まったく御親切で、ありがとう。
ゴルフの夢中になっている、という割にはへたくそだったよ、淳吉。
たまに当たるとまっすぐないい球が出るが、まだまだ青い。変化球は絶対といっていいほど打てないし、アプローチショットは、せっかくグリーンそばまで行っていながらそこから4打も5打もかかってどうするんだ。
特にバンカーショットはどうにもならんな。まず一発で出たためしはなく、4発目にやっと出たらこれが大ホームラン。飛びますねぇ。
そんなに下手なら、バンカーに入れないようにすればいいのに、あらゆるバンカーに入れている。真横のバンカーにも入れるとはどうしてなの?
「入れまいとするほどはいってしまうんですよ」
淳吉、泣くな。
けれども、私のバンカーショットをすぐ目の前でじっくりとみて、
「うーん、うまいなぁ」
と感心していたので、許そう。
ただ、ホテルでもゴルフ場でも、会うひと会うひとに、私のことを、 「あのひと、もう70歳なんですよ」 というのは余計なことだ。若く見えますね、など、もう嬉しくもないわい。
ふつか目の夜、淳吉がひとりの若い女性を私の部屋に連れてきた。
「このひとと結婚しようと思っているんです」 最近同じホテルで働くようになった札幌の女性だそうだ。淳吉と並ぶと白と黒のオセロゲームのような、色の白いひとだった。
アルバイトの続きのような淳吉で、冬場だけの観光地なので、給料はびっくりするほど少ない。親は、結婚するなら、スノボーのための仕事ではなく、生活のための仕事を探せといっているらしいが、
「ぼくはこの暮らしをやめたくないんです。好きなことをして、好きなひとと暮らしていければ、たとえ貧乏でもいい」
この言葉に、ひとこと苦言でも、と思っていた私は、思わず頷いてしまった。
好きなことをして、好きなひとと、好きなところで生きていく。
いいじゃないか。そうしなさい。おじさんもそうしてきた。
ただし、もしつらくなっても、貧乏がもっとひどくなっても、誰かに文句をいったり、頼ったりするなよ。それが自己責任というものだよ。
いい気持ちで酔った淳吉、 「この秋、シーズン前にでもふたりで東京に遊びに行っていいですか。おじさんの家に泊まって、クルージングやゴルフに連れて行ってください」
もうひとを頼っている。
「いいよ。お土産、持ってこい」
「海に行って、流れてきた利尻昆布を拾って持っていきます」
応援してよかったのかな。
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