
WEEKENDLESS II - 17
今日一日することがなくなった。
今日もまた海に出て、クルージングな一日を過ごそうとしていたのに、それが不可能になったのだ。
ここ数年、大体朝は早い。6時か7時にはもう起きていて、ソファーに寝そべって本を読んでいたり、ビデオに撮っておいた歌舞伎やオペラを見ているか、そうでなければNHK BSでメジャーリーグの野球を見ている。といっても、どうやら年寄りの早起き」といった類のそれであって、加えてほとんどの朝が二日酔い気味でやってくるので、決してさわやかな目覚めというわけではない。不機嫌な顔をして、気分が晴れるまでじっとしている。そんな朝が普通であった。
ところが最近、クルージングの日と、ゴルフの朝は違う。6時前にはもう起きだして、ぬるいシャワーを浴びて気分をしゃっきりとさせ、手早くコーヒーをいれ、シリアルに豆乳を注いでひとりブレックファースト。気持ちはもう外に向かっている。
今朝もそんな朝だったのだが、いざ出かけようとしていたまさにそのとき、ポケットに入れたばかりの携帯電話が震えた。「浦安マリーナ・林」。
いやな予感を持ちながら通話にして見ると、マリーナの担当者というかインストラクター、若きシーマン林辰之介くんの元気な大声が飛び出してきた。
「間に合いましたか。それとももう車の中ですか」
お出かけ前でよかった、という。
「今日のクルージング、キャンセルになりました」
視界不良で、28フィート艇で沖に出ることはできないというのだ。
しかし、曇り空ではあるけれども、雨は降っていないし、大雨になるという予報もなかったではないか。文句をいうと、
「予報では東京湾の視界は500から800メートルになっています。これは午後にも続くはずで、待っても無駄でしょう。あきらめて別の日にしましょう」
「そうはいってもだね」
諦めない私は食い下がる。
「こないだなんか、2メートルもの波でも遠くまで行ったよ。視界ぐらい少々悪くても平気だよ」
いや、そうはいかないと、林くんも食い下がる。
「波なら逃れようもあるんですが、視界不良だけはどうにもならないんですよ。なにしろ相手が見えないんだから逃げようがない」
「でも」
「それに、なにも見えない海に出たって面白くないでしょう。波や風なら腕の見せどころでもあって、ゲストをきゃーきゃーいわせる楽しみもありますが」
林くん、私の下心をしっかりと見抜いている。そういわれればそうだな。
というわけで、今日一日、私にはすることがないのであります。
昼近くまで、仕方がないのでメジャーリーグのマリナーズの試合を見て過ごし、おもむろに出かけた。
目的地は京橋のブリジストン美術館。ここで常設展に加えて「うみのいろ うみのかたち」という特別展が催されていることを思い出したのだ。タイトルだけではどんな展示作品なのか想像もつかないが、これほど「うみ」を強調するには海をテーマにした作品を集めたものに違いない。それなら行ってみないわけにはいかないではないか。私の心は、それほどにも海モードにとらわれていたのだった。
ブリジストン美術館は、もう半世紀もの歴史を持つのではないだろうか。中学生、高校生のころ幾度か出かけた記憶があるし、その近所で生まれ育った羽仁未紗も、子供のころ学校の授業で並んで見学に行ったといっている。
だが、それほどの近くにあるのに、大人になってからの私たちには不思議に縁の遠い美術館でもあった。いい絵をたくさん持っていることは承知していても、なん年も行かずにすませている。そんな場所だったのだ。
それは、東京っ子が東京タワーに上ったことがない、ということにも近いのか、この美術館が上野などに較べて派手な特別展を開くことが少ない、といった事情もあったのだろうが、考えてみるまでもなく、この日の訪問は3年余り前に日本に帰ってきてから初めてのことだ。ということは、その前の十数年間も当然来なかったわけで、えーっ、20年も来ていなかったのか。これはまた失礼しました。
「うみのいろ うみのかたち」は、予想通り、海をテーマにした作品、海を感じさせる絵画を集めた特別展で、たとえばそこにクロード・モネの「黄昏、ヴェネツィア」やウジェーヌ・ブータン「トルーヴィル近郊の浜」、そして先日鎌倉の小さな美術館で見たばかりのラウル・デュフィの作品、ここには「ドーヴィルの突堤」が飾られていた。
このように予想がぴたりと当たると、自分の勘のよさや知識の正しさを誇らしく思う気持ちもあれば、反対に、なんだ、もう少し頭を使えよ、といった意地悪な気分にもなる。
そうした複雑な思いで会場を歩いていたのだが、そんな私を思わずはっとさせる、思い上がった心に水をかけるような作品群があった。いや、作品の展示法に、キュレーターの意図が感じさせられたのであった。
まずクロード・モネは「雨のベリール」。
モネといえば睡蓮の花か、せいぜい「印象」くらいしか思い当らないひとには、これは珍しい作品だ。モネが若いころ、つまりまだ「印象派」といった呼称もなかった時代に描いた、フランス北西部ベリールの荒れ狂う海。雨風が波間の岩山に音を立てて吹き荒れる暗く厳しい作品だが、これとても予想は裏切ってはいない。この作品が現れることはある程度は予測できることだった。
だが、このモネに並んであるふたつの日本人画家による作品に、私はショックを受けた。
ひとつは青木繁の「海景(布良の海)」。
もうひとつは和田三造の「海」。
どちらも多分冬の海。ごつごつした岩が荒波に叩かれ洗われしている。見るものの気持ちを引き締める、そんな作品で、ふたつとも遠い昔の日本の名作として画集などで幾度かは見た覚えのあるものだろう。この場にあるのも当然と思える。
だが、驚かされるのは、この三つの作品が、まるでそっくりであること。荒れ狂い、砕け散る波の激しさ。苦しげに、寡黙に耐える岩肌。耳がちぎれるほどに吹き荒れる風の音さえ聞こえてくるばかりの厳しさ。そのすべてが3作品に共通して描かれている。まるで3人の画家が、その海辺の岩場にキャンバスを並べて描いたと思えるほどだ。
制作年代を考えると、見えてくる。青木繁、和田三造、この日本を代表する巨匠ふたりは、若き日、明らかにモネを模写している。模写、がいい過ぎだとすれば、強く影響を受けている。そして、真似られたモネは、そんな自作品を忘れたかのように、30年のちには「黄昏、ヴェネツィア」といった「印象」に遊び、その作品も少しは離れた場所ではあるが展示されているのだ。
この特別展のキュレーターは、恐ろしくシニカルなひとか、自信にあふれた啓蒙者なのかもしれない。そっとしておいてくれればよかったのに、と思わないでもない。
微妙な思いのまま常設展に回って、大昔にも見たはずのセザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」、ゴーガン「乾草」などでいくらか平静を取り戻し、ようやく外に出た私であった。
京橋から銀座へと続く道は、重い雲の下、夕刻を迎えようとしている。
気分直しに、こじゃれたレストランにでもと思ったが、この日はそうはいかない。私の自宅マンションのパブリックルームで居住者たちのためのコンサート、名づけて「サロン・コンサート IN TOYOSU」が行われることになっているのだ。
自分の住まいでのクラシックコンサート。ふっと照れてしまいたくなるほどカッコイイ話ではないか。ニューヨークにいたころには、隣の教会をまるまる借りての弦楽四重奏、があったりしたが、日本でもそうしたことが行われる。ちょっと見ないうちに日本も大人になったのかな。
大急ぎで帰って、簡単に着替えてコンサート会場へと降りていった。
読売交響楽団のOBたち7人で2ヴァイオリン、2チェロ、1コントラバス、それにオーボエとピアノを加えた構成。曲目はヘンデル「水上の音楽」より、バッハ「主よ、人のめぐみよ」ブラームス「ハンガリアンダンスNO6」など、中学校で習うような名曲のさわり。
なかなかよかったですよ。馬鹿にしたものではない。
パイプ椅子を並べた会場には、赤ちゃんを膝に乗せた若いお母さんたちや、もう晩酌を終えたらしいお父さん、ふたつの椅子をぴったりと寄せて肩をくっつけ合っている新婚さんたち。ちょっと場違いな場所と場違いなお客さんたちが、みんないくらか照れながらそれでも1時間、楽しんでいた。
特に曲が「崖の上のポニョ」になると、それまでぐずっていた子供たちが、お母さんの膝の上で「ポニョ、ポニョ」と大喜びしていたし、それを見るのも楽しかった。
やはり日本には日本のやりかたがあるのか。ワイン片手に弦楽四重奏、などという日はなかなか来ないだろう。

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