
WEEKENDLESS II - 16
海に出ています。若い愛人を、しかもふたりも乗せて。
というのは悲しいけれどもちろん嘘。けれども、ハンドルを握る私のそばに、若いふたりの女の子が乗っているのは事実。クルージングを始めるときの夢が早くも実現したともいえる。
話せば深い事情と偶然が重なっている。
まず2週間ほど前のクルージングに、ひとりの中年女性を招待したのがきっかけ。その女性は羽仁未紗の友人で、誘いに応じて付き合ってくれたのだが、初めは恐る恐る。下部キャビンで身体を固くしていたのに、帰途につくころにはすっかり元気になって、上部で全身に風を受けて大喜びしていた。
そして、また乗せてくださいと繰り返しいって、それが今回のクルージングとなったのだが、なんと前々日になって急に来られなくなった。なんでも子供の夏休みがどうの、という話だったのだが、それはいいとして彼女、代わりにひとりの女の子を乗せてやってください、というのだ。クルージングがあまりに楽しかったので、行きつけの美容室で美容師たちに自慢すると、中のひとりがぜひわたしも行きたいといったという。
いいわよ、連れていってあげる、と安請け合いし、その日こっそり連れてこようと考えていた。中年女性の図々しさだな。ところが本人が来られなくなって、困ってしまって改めて頼んできた、というわけだ。断るわけにはいかない。
前日、その美容師から電話があった。明日はよろしくお願いしますという。なかなか礼儀正しい女の子ではあるな、と思う間もなく、この娘、
「もうひとり、私の友達を連れていってもいいですか」
知らないおじさんの船にひとりで乗るのは怖いのだろう。その気持ちはよくわかる。
こうして、東洋のオナシスじいさんと若い愛人ふたりのクルージング。晴れて浦安マリーナを出発したのであります。
梅雨明け宣言がなされて以来逆に雨の日が多くなっていたが、この日はまさに夏真っ盛りを思わせる快晴ピーカン。わが船は浦安マリーナの桟橋を離れ、回転数700、静かに外に進んだ。
キャビンで待っていろ、といったのに早くも上部デッキに上がってきているふたりの女の子、すでにして興奮状態。
「わー、すごい! 気持ちいいーっ!」
「大海原って感じね」
おいおい、まだ運河に差し掛かっただけだよ。船はとろとろ進んでいるだけ。大海原はないだろう。
5分後にようやく外海。といっても東京湾のほんの突き当り。それなのに、
「キャーッ、ひっろーい!」
「でっかーい!」
もう、うるさいよ。
しばらく岸壁に並行して進むと、右手にディズニーリゾート。例の茶色のなんとかマウンテンの三角が見えるが、女の子たち、遠い沖に夢中で気がつかない。指さして教えてやると、
「やったー、ディズニーだ!」
「海から見るの、初めて」
「陸からはなん度も見ているのか」
「ううん。見たことがないです」
逆に問い返してくる。
「あの、あの、ディズニー、行ったこと、ありますか」
私をなんと呼んでいいのかわからない。先生、なのか、佐山さんなのか、教わってこなかったようだ。まさかいきなりおじさんでもないだろうし。面白いからほっておいてやろう。
「日本のディズニーには行ったことはないんだよ。ロサンゼルス、フロリダ、パリには行ったけれど」
「わーっ、かっこいいーっ!」
やっとわかったかね。
この賑やかな女の子たち、ユウキとマキ。同じ美容院で働く美容師。出港届を書くときに覗いたら、23歳と22歳。愛人にしては幼いな。犯罪になりかねない。今日は特別ゲスト、ということにしておこう。
いつものように東京湾をまっすぐ下って、アクアラインの空気抜き、風の塔を右に見て、海ほたるに向かう。
「アクアラインって、お台場にあるんですよね」
「え? それはレインボウブリッジだろう」
「違いますよぉ。お台場から海の下に入っていく」
「それは東京港トンネルだな。アクアラインは川崎から木更津」
「キサラズって?」
「千葉県。なにも知らんな」
「すみません。東京のこと、まだあまり知らないんです」
いいだろう。可愛いから許してあげる。ちょっとうるさいけれど。
実際、若いということは素晴らしい。素晴らしくうるさい。海ほたるのブリッジの下を抜け、房総半島沿いに下がって、富津沖から東に回り、観音埼沖を通るころに至っても、ユウキとマキのふたり、騒ぎっぱなし、はしゃぎっぱなし。船に、よく啼く小鳥が2羽止まっている。
「東京湾って広いんですね。地図で見たら狭い感じなのに」
「このあたりから東京湾とはいわないんだよ。正確にいうと太平洋海域になる」
「わぁ、太平洋だって。すっごーい!」
「すごいだろう。この先がハワイだよ」
「えーっ、ハワイ! わたし、一度行ってみたかったの」
「行ってみようか」
「はーい、うっれしーっ!」
残念ながらハワイには行かなかったが、私たちの船は、三浦半島の突端、城ケ島を大きく回って湘南海岸沖へと進んだ。出港届の予定航路を大きく外れているが、構うものか。今日は特別、ハレの日だ。
船の上から電話をかけて、葉山マリーナに停泊することにした。石原裕次郎の昔から湘南の遊び人たちに愛されてきた葉山マリーナ。スーパーエリートマリーナだ。本来はヨット専用だが、堤防を隔ててプレジャーボート、クルーザーの桟橋、バースもある。
話に聞いたことがあるのか、映画でも見て知っているのか、葉山マリーナに着いたことだけで興奮度は倍増し、ユウキとマキ、まだ係留していない船から桟橋に飛び移ろうとする。危ないよ。
ちょうど昼どき。歩いていける近くのレストラン日影茶屋でおしゃれなランチでも、と思ったが、この顔ぶれではちょっとね、おじさんが恥をかきそうだ。
「このマリーナのカフェテラスでパスタかハンバーガーでも食べようか」
「わーい、やったーっ!」
お手軽でいいや。
そこでもうひとつの提案。
「この先の美術館に寄ってこようと思うんだけど、一緒に行くかい」
「えーっ、美術館ですか」
うまい具合に、これには乗ってこない。
「じゃ、ひとりでいってくるから、ここで待っていてくれよ。2時間ぐらい、ここいらで遊んでいられるか」
「平気ですよ。船の写真撮ったり、友達にシャメ送ったりしてますから」
私ひとり、愛人たちを残してタクシーに乗って、鎌倉駅近くに向かう。
湘南に来るたびに行こうとは思っていても、時間がなくて我慢していた美術館。鎌倉駅から少し丘を上がった裏手、山裾にひっそりと沈むようにある鎌倉大谷記念美術館。ここでいまデュフィ展が開かれていることは、インターネットで調べておいた。
ラウル・デュフィ。19世紀の終わりにフランスはセーヌ川河口の町ル・アーブルに生を受けた画家。故郷でもパリに出てからも色彩鮮やかな画風で人気を得ていたが、その名声を確立したのは後年南フランスに居を移してからのこと。ニース、カンヌ、サント・ロペなどの海岸、海辺の町を澄んだ海の色、輝く空の色、黄色や赤のリゾート風な建物、パームの木陰などを数多く描き「海の画家」とも呼ばれている。「遅れてきた印象派」というひともいるが、深刻な芸術性、挑戦的な実験性よりも、ハートウォーミングな抒情、開放的な異国性で、私の大好きな画家のひとりでもあった。
特にクルージングを始めて改めて海に目覚めた私にとって、クルーザーのキャビンか自宅のリビングの壁に1、2点飾っておきたい作品といえよう。
船のにぎやかさ、うるささに較べて、あまりに静かな美術館。30点足らずの少なさ、というより、デュフィにしては数多くの作品を前にようやく心静かに戻すことのできた私は、3時間ほど待たせてやろうかとの誘惑を振り切って、大急ぎで葉山マリーナに引き返したのであった。
ユウキとマキ。カフェテラスから持ち出したらしい、私が教えたのではあるが、生意気にもカンパリソーダのグラスを手に、桟橋のベンチで海を眺めていた。というより、おしゃべりに花を咲かせていた。
「待った?」
「平気でした。ここならずっといてもよかったです」
「さっき男のひとふたりにナンパされそうになったんですよ。怖いおじさんが来るよっていったら帰って行きました」
帰りのクルージングはなるべく静かに、と頼んで、湾の西側の海岸に沿って北上した。剣埼、金田湾、浦が、横須賀、横浜、そして羽田沖。
おしゃべり、大はしゃぎを我慢していたらしいふたりが、帰港近くになって話し始めた。
「わたし達、火曜日が休みなんですけど、いつもは渋谷か新宿に買い物に出かけたり、夜はカラオケか居酒屋さんでしょう。夏休みっていっても、田舎に帰って昔の友達とおんなじこと。こんな大人の遊びがあるなんて知りませんでした。カンパリソーダも初めて飲んだし」
どうもありがとうございました、だそうだ。
そうか、そんなにいうなら日影茶屋に連れていってやればよかったかな。
そう思ったから、おじさん、思わずいいました。
「きみたち、俺の“テリーズ・エンジェル”に入れてやってもいいよ。ほんとうはオーディションが必要なんだが」
ユウキとマキ、口々に答えた。
「わぁ、うれしい。カレも一緒でいいですか」
「あたし、11月に結婚するんです。それまで入れてください」
というわけで、改めて”テリーズ・エンジェル“募集中。

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