WEEKENDLESS 15
ウィーンの風の中で
あ、この曲、よく知っている。
この歌は、ここから来たのか。
そんな楽しい驚きと、思いがけない懐かしさに包まれた3時間であった。
上野の東京文化会館で、オペラ『マルタ』を充分に楽しんできた。
久しぶりのマチネ鑑賞だったので、早く着いて、1時間ほどを上野の森のぶらぶら歩きに費やし、梅雨の晴れ間の樹の香りに包まれてみたのだが、その爽やかさが懐かしさに取って代わることになろうとは。
と書いて、私が『マルタ』を観るのが初めてだとおわかりだろうが、そのこと自体が私にとっても驚きだったのだ。世界各地で、機会あるごとに数多くのオペラを観てきたつもりだったが、ウィーンオペラが、私にとってそれだけ希少な存在だったのか、あるいは私たちがあまりにもイタリアオペラに偏りすぎていたのか。思い知らされた。
オーストリー大使館協賛で上演された「マルタ」は、猟犬の縫いぐるみを着た10人ほどの子役を除いてほぼ全員ウィーン・フォルクス・オパーのメンバーで、それだけに直接ウィーンの風を運んできてくれたともいえる。
『マルタ』はいってみれば軽喜劇、ラブコメディ。女王陛下の身分の高い女官が退屈な宮廷生活に飽き、いたずら心から腹心の女性と一緒に農婦に変装し、マルタという偽名を使って村を歩き、“女中市場”“求人マーケット”ともいうべき集会に紛れ込み、そこでとある農家に女中として雇われる羽目になる。そしてその農家の主人と恋に落ちてしまい、という、よくある他愛のないお話。舞台は18世紀のイングランド、となってはいるが、実はまったくのウィーンを映し出している。
第2幕、お忍びのふたりがやってきた村では、仕事を求めて近在から集まった女性たちでにぎわっているが、その賑わいの中で村人たちが繰り返しうたう“おとなしく真面目な娘さんたちよ”が、まず私をびっくりさせた。日本のどこかで大昔に聞いたことのある戯れ歌、
じいさん 酒飲んで 酔っ払って 死んじゃった
のメロディではないか。
さらに、雇われた農家で、主人に当たる農夫との恋に気がついてうたう“夏の名残りのばら”は、子供のころ誰もが習った“庭の千草”そのものだ。そういえば、この歌、イングランド民謡と教えられたはず。おかしなことに、“千草”がオペラの中のタイトルでは“ばら”になっており、歌詞ではなんと“すみれ”。花ならなんでもよかったのかな。この歌は、このオペラのテーマ曲でもある。
さらに第3幕、“ああ、かくも汚れなく”が始まると、観客がどよめいた。ああ、あの歌だ。どよめきは、歌の途中なのに拍手に変わった。
歌詞は、ひとによって、時代によって、違って覚えているだろうが、私はこううたうことができる。
ああ われ うるわしき きみが姿 見し日より
ああ わが心 恋に目覚めぬ
愛と 希望 心に満てり
されど すでに きみはいませず
(少し飛ばして)
マルタ マルタ ああ マルタ
少し違ったかな。
昔この歌を知ったとき、マルタ島をうたったものかと思っていた。地中海に浮かぶ小さな島国。マルタ騎士団、十字軍で知られた美しい国。そう思っていたのだが、考えてみるまでもなくマルタという女性にささげた恋歌ではないか。不明を恥じるばかりであります。
ウィーンオペラの特徴として、貴族社会、上流階級をからかう点があるだろう。その退屈さ、堅苦しさ、それでいて男女関係のいい加減さ。この『マルタ』もそうだし、同時代の『ボッカチオ』も、ウィーン出身の大作曲家モーツァルトの『フィガロの結婚』もそうだ。のちにオペレッタと形を変えて現れた『メリー・ウイドウ』『こうもり』も同じ傾向にある。ここがイタリアオペラとの大きな違い。
そして、『マルタ』のように、劇中に美しく、聴きやすく、口ずさみやすいメロディのいくつかが散りばめられるのも、ウィーンならではのものだ。
観衆、聴衆を、やさしくウィーンの風にいざなってくれる。
文化会館の昔風にせまい椅子に坐って、私は1年前にわずか3週間だったが訪れ、25年前に、このときはたったの6日間歩き回ったウィーンの街を、シェーンブルク宮殿を、美術館の数々を、モーツァルトハウスを、ベートーヴェンの家を、ホイリゲと呼ばれるビアホールを、そして国立オペラハウスを、さらに今回やってきてくれたフォルクス・オパー(大衆オペラ)ハウスを、次々に心に思い浮かべていた。この調子なら、来年でももう一度ウィーンに出かけているかもしれない。

すっかりいい気分になって、帰る車の中で、私は幾度も口ずさんでいた。
じいさん 酒飲んで 酔っ払って 死んじゃった
俺のことかな。

(写真のオペラハウスは、昨年訪れたウィーンのものです。)
