
WEEKENDLESS II - 14
奇怪な顔の男がいる。赤いほほに赤く大きな鼻。大きな目の下にはぷっくりと膨らんだ脂肪のかたまり。鼻下のカイゼル髭は左右不均等で、下唇はまるで舌をぺろりと出したかに赤く飛び出している。ひたいは奇妙な緑色でごつごつ見えるし、頭は髪飾りだか帽子だかわからないごしゃごしゃの大混乱。実際にこんな顔の男に出会ったらびっくりして腰を抜かすか、恐ろしさに逃げ出してしまうに違いない。
そう。これは実際の人間の顔ではない。多くの、無数ともいえる野菜、果物を配して、人間の顔に似せているのだ。
よく見れば、巨大な鼻はどうやら洋ナシらしいし、ぷっくりした唇はふたつの唐辛子だ。ひたいの凸凹はかぼちゃを裏側から見たもので、目茶目茶な頭はぶどうだの麦の穂や、これはなんだろう、ざくろのようだが。そうか。赤いほほは大きなりんごだ。いや、桃かな。
この奇妙奇天烈、不思議な絵は、ジュゼッペ・アルチンボルドという画家が16世紀に描いた「ウェルストムヌス」あるいは「ルドルフ2世」と呼ばれる作品。スウェーデンのスコークロステルという城に保管されていたものがここに運び込まれてきている。
解説によると、この画家アルチンボルドは、ときの君主ルドルフ2世をいたく敬愛していて、その君主の気高さ、徳の高さを表現するために、この世のありとあらゆる野菜、果物を使って肖像画を描いたという。万物の長を表したということなのだろうが、野菜や果物を顔いっぱい、上半身いっぱいにごてごてと飾られたルドルフ2世、完成した絵を見て果たして喜んだろうか。ちょっと確かめてみたい気もするそんな不思議な絵であった
渋谷の“ぶんかむら”ザ・ミュージアムで開催されている「だまし絵展」に来ている。
この「だまし絵展」は「奇想の王国」と副題が付けられていることでもわかるように、世界からこうした不思議な、おかしな絵ばかりを集めた美術展。広い会場には全部で140点近くの絵画が飾られているが、その代表というか目玉作品がいま私が驚いてみせた野菜、果物の人物像と、パンフレットにも使われている、額縁の中から少年が身を乗り出して外に出ようとしている、これも有名な絵の2作。
しかし会場を歩いているとまだまだ不思議な絵はあるもので、たとえば額に張られたガラスが斜めに割れていて、その中の緑色のインコが割れた隙間から外を眺めている絵。デ・スコット・エヴァンズの「インコへのオマージュ」だが、よく見ると割れたガラスも中のインコもすべて油絵。どうしてこんな絵を描く必要があったのかとも思いたいが、ひとを驚かせるため、といわれればそれはそれで納得できよう。
確かにヨーロッパにはこのようにびっくりさせるためだけの絵、だまし絵の歴史があって、トロンプルイユと呼ばれていた。Torompeは、だますTromperの変化で、L`oeilは目、つまりひとの目を欺く、といった意味だ。
しかしひと口にだまし絵といっても、いま紹介した3点ともまったく違った手法、アイディアで描かれていることでもわかるように、その内容は実に多種多様。はりつけになったキリストの死骸を包んだといわれる聖骸布を描いた、実際にキリストの顔が浮かび上がって見えるものも、絵の額そのものが壁の中に潜り込んでいっているように見える“絵の絵”。壁の棚タンスの扉が開いて中の手紙や本、羽ペンなどがあふれ出ているという、なんのためかわからない絵もある。
つまり、だまし絵というジャンルはあるようでない。ちょっと常識から外れたいろんな絵を、ひと口にだまし絵とまとめただけのことだろう。その証拠におしまいのほうにはかのサルバドール・ダリのよく知られた絵「アン・ウッドワード夫人の肖像」もあれば、画面に蛇腹の細かい折り目を付けて、左右見る側から違う絵が見える、いわゆるトリック絵画などもあるという多彩ぶりだ。
さらにだまし絵は日本の昔にも飛んできて、掛け軸に描かれた幽霊が絵の外、掛け軸の台紙にまで流れるように出てくるもの。そう。台紙そのものまで描いているのだが、これなど壁の戸棚からものがあふれる絵と同じ発想によるものかもしれない。
また、冒頭の野菜、果物の顔が、日本では全裸かふんどしひとつの男たちが折り重なって大きな男の顔を作り上げる気持ちの悪い浮世絵に類似している。この絵師、歌川国芳にはこうした戯画が多く、これぞ日本のだまし絵といえるものだろう。
などなど、ほんの冷やかし、暇つぶしではいった「だまし絵展」ではあったが、まさに奇想天外な作品の群れに惹かれ、思わぬ長居をしてしまった。知らない絵もたくさんあったし、多くの知識も与えられ、こうした展覧会を企画したキュレーターに感謝のひとときではありました。
しかし、いまひとつもの足りなさというか、あれがないのはおかしいんじゃないのか、といった気持にさせられた部分もあった。
私たちが昔教わったいわゆる“だまし絵”の代表的なものは、確かマンテーニャの作品ではなかったか。
マンテーニャといえばだれでも知っていてすぐに思い浮かべるのがあれだ。
そう。ミラノのブレラ美術館に飾られている「死せるキリスト」。はりつけ台から降ろされたキリストの亡き骸をなんと足の裏から描いた作品。正式な題名は「キリストと3人の悲しむものたち」といったものだがそれが「死せるキリスト」と訳されたことでも、宗教的な心を超えてユニークな構図のほうに関心が集まっていることがわかるし、だまし絵といわれればすぐにもこの絵を思い出すといったものだ。
さらにもうひとつの、しかし、を続けるが、マンテーニャのだまし絵の真髄は「死せるキリスト」よりも彼が描いたある宮殿の天井画にある。
ミラノから南に下がった場所にある古い城下町マントバ、マンチューワには、かのゴンザーガ家の壮麗広大な宮殿があるが、そのゴンザーガ家の宮廷画家、お抱え絵師だったのがマンテーニャで、見上げると雲の晴れ間の空に実際に天使や神々が浮かんで遊んでいるかに見えてしまう絵を数多く残している。
天井画としてはローマ、バチカンのシスティーナ礼拝堂のミケランジェロなどが代表的といわれているが、説明的なミケランジェロに較べるまでもなく、マンテーニャの絵は写実的だ。事実あり得ないことを描き、それをほんとうのように見せるという意味での写実的。この、嘘を本物に見せるということが、文芸まで含めての芸術に最も必要なものではないだろうか。
マントバの天井画には思い出が深い。
マンテーニャの代表作としては、天使や神々を描いたものを上げざるをえないのはわかるが、実は別の部屋には世界一エロティックな天井画なるものもある。それは、やはり雲の上の世界で、神様たちが女神や愛人たちと戯れているようすを描いているのだが、これがすごい。描きすぎている。なんと神たちはもちろん全裸だが、踊りまわり跳ねまわるその姿には、下半身の畏れ多い部分やらタマタマの裏側まですべて描かれているし、女神、愛人たちはいうに及ばず。ひと昔前の関西ストリップもかくやといった精密さ、丸出しぶりだ。見学に来た子どもたちが卒倒しかねない感動を見せていた。
渋谷のだまし絵から、私の心はいつしかイタリアはマントバに飛ぶ。
マントバの歴史美術館だったか。研究員の女子学生が案内してくれるシステムだったが、イタリア語が未完だった私に、たどたどしい英語で説明してくれて、ときには英語ではどういうのかと、顔を赤くして尋ねてきたりして、あの初々しさは忘れない。
あの美術館には、足が異常に短く描かれたキリストの絵があって、私がこの絵のような男を日本ではタケダテツヤというのだと教え、女子学生はそれをノートにメモしていた。そののちあの美術館を訪れ、タケダテツヤばなしをレクチャーされたひとがいたらご一報ください。犯人は私です。
その後、幾度も幾度もイタリアに行きながらマントバ再訪はなっていない。ぜひもう一度行きたいな。
半年もイタリアにいっていない日が続く中、行きたいところは増えていくばかりだ。

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