佐山 透(さやま とおる)ドットコム

WEEKENDLESS II - 12     

小さな金太郎に歴史を見る

小さな金太郎に歴史を見るやっと間にあった。危ないところだった。
 歌舞伎公演というものが、たとえ6月大歌舞伎とうたわれていても、6月末日まで行われるものではなく、ほとんどの月、26日か27日に千秋楽を迎える。そうでないと次の準備や稽古などに支障が出るからで、そんなことは長い歌舞伎とのお付き合いでしっかり頭に入っているつもりだったのだが、この6月大歌舞伎、まだ大丈夫だ、ぎりぎりに行けばいいと高をくくっていて、はっとが気がついたのが昨日、つまり千秋楽の前々日であった。

そこで慌てて駆けつけたわけだが、どうしてこんな珍しいドジを踏みそうになったかといえば、最近の私の生活パターンの変化にある。

従来の私の日常なら、日本にいるときもニューヨークに住んでいたときも、2か月も3カ月も自宅にいるなどとはあり得ないことだった。大体その間に1度や2度はジェット機で太平洋か大西洋を超えてどこかの国、まずはフランスかイタリアかその両方かに出かけていた。

小さな金太郎に歴史を見るところが、世界を席巻する怪しげなインフルエンザや大不況に伴う治安の悪化などに水を差される感じで、なんとなく出歩きそびれているうちに、外国に行かない日常が軽く定着しかけていて、それはそれで困ったことなのだが、その欲求不満も手持無沙汰もあって、思い立って船舶免許を取得。早速クルーザーで海に乗り出してみると、たちまちその虜になって、3日とあけずに船に乗っている。

クルージングに夢中になることには、いずれは飽きてしまい、間遠になるのはわかりきってはいても、いまは大いに楽しいし、ゲストたちにも喜ばれているようだからいいのだが、そのおかげでいつもなら習慣的にそこにあった歌舞伎、美術展、オペラ、コンサートなどの影が薄くなってしまっていた。なにかに熱中するとほかのことを忘れてしまう、あまりよくない性格だ。

小さな金太郎に歴史を見るという長い前置きで報告するのは、6月大歌舞伎は夜の部のおはなし。

「極付 幡随長兵衛」と「梅雨小袖昔八丈」つまり「髪結新三」の二演目がメインだが、前座に「門出祝寿連獅子(かどんでいおうことぶきれんじし)」。本来なら前座はあくまで前座だが、この月に限って、多くの客がこの前座を見るために歌舞伎座に詰めかけているのは間違いない。

この「連獅子」は副題に「四代目松本金太郎 初舞台」とあることでもわかるように、松本金太郎の襲名披露の舞台なのだ。

松本金太郎とは誰か。知らないのも当然。この舞台で初めてその名を名乗るようになったひとりの歌舞伎役者。役者というにはいささか無理がある。なぜならこの金太郎、まだ三歳の子供、赤ちゃんといったほうがいいほどのちびすけなのだから。

普通歌舞伎の世界での初舞台、お披露目公演は、その子が五歳か六歳になってから行われるものだから、3歳とはあまりにも早い。幼すぎる。

小さな金太郎に歴史を見るだがこれが高麗屋のやりかたなのだろうか。先代の三代目金太郎、つまりいまの市川染五郎のお披露目は確か彼の四歳のときだったし、そのまた先代、現松本幸四郎、前の染五郎は、私は観ていないが、戦後間もなくの、五歳になる前だったそうだ。

このように、幸四郎の子が染五郎になり、染五郎の子が金太郎として生まれ、次々に押し出すように代替わりしていく。そしていまはまだ襲っていないが、幸四郎がやがては白鷗として梨園の頂点に立つのも決まり切った道なのだ。

 

小さな金太郎に歴史を見るこのお披露目の舞台で金太郎は、父染五郎と祖父幸四郎に両側から支えられて、小さな身体が吹き飛ぶほどの勢いで赤い獅子のたてがみを振り回し、というか元気いっぱいに暴れまくり、きーきーと子猿のような声でなにを叫んでいるか少しもわからない口上を述べ、満員の客の笑いを、涙さえ誘っていた。

これはもう演劇でも舞台でもないが、歌舞伎であることは間違いない。200年も300年もの間、歌舞伎のファンたちはこうして順送りのお披露目を見続け、拍手声援を送り、まるで親戚のおじさんおばさんのようにやさしく眺めてきた。これが伝統であり、歴史であり、なによりも歌舞伎なのだ。

見ていると、金太郎、踊り終えた後、頭を板に付けたまま小さな身体を左右に揺らしている。どうやら居眠りをしているようだ。隣の若きパパ、染五郎が猫の子を起こすように金太郎の首をつまんで顔を上げさせていた。

 

そうか。もう30年以上前のことか。

小さな金太郎に歴史を見るそのころ私は、最初は取材、インタビューで高麗屋、現幸四郎、当時の染五郎と親しくなり、その後は年齢も近いこともあって、あるときは歌舞伎座の楽屋で、あるときは青山のマンションに食事に招かれたりして、幾度も語りあったものだ。あのころの幸四郎は、「ラ・マンチャの男」を抱えてニューヨークはブロードウェイにチャレンジしたり、歌舞伎の枠を飛び出しての大いに意欲的な若武者で、話す内容にも熱気があふれていた。

もう少しあとのことかもしれないが、お宅に伺うたびに私は、麗子夫人の美しさに目を奪われ、のちの松本志保、松たか子、そして染五郎の3人の子供が挨拶に出てくると、その行儀のよさ、しつけの見事さに心うたれた。白鷗が出てくることはなかったが、白鷗夫人、やはり名門播磨屋のお嬢さんの毅然とした立ち居振る舞いの見事さも忘れられない。

そうした交流から、染五郎、3代目金太郎のお披露目公演でも特等席に招待を受けたが、白鷗、幸四郎に挟まれた4歳の染五郎の、いまと同じ「連獅子」のいたいけなさは、鮮やかに思い出される。

そんな思い出の中でいま思う。世襲というものはいいものではないのか。

小さな金太郎に歴史を見る永田町のあたりで、世襲禁止だの反対だのと虚しい議論が行われているようだが、歌舞伎の世界でも政治の世界でも、代々その分野を支え続けてきた名家名門があってもいい。いや、あるべきだと思う。すべてがいいとはいわないまでも、鳩山家、麻生家など、日本の歴史でもある。その流れを途絶えさせてはいけないのだ。

政治資金とか後援会組織とかで、優遇されすぎていていかん、との論調が主流のようだが、それはそうでないひとたち、名家名門の出でないひとたち、つまり持たざるものたちの僻みでしかないのではないか。人間にはそれぞれ持って生まれた器量、才覚というものがあるはずだ。不公平を咎めるが、なにもかもの公平のほうに弊害は大きいのではないだろうか。悪平等は「悪」ですよ。

小さな金太郎に歴史を見る歌舞伎世界の素晴らしい世襲システムに心奪われた翌日、その気分の高ぶりが冷めないままに、わが家のすぐ近く、ららぽーとトヨスで行われていたある美術展に出かけた。

「浮世絵に見る歌舞伎名場面」と題された小さな美術展で、多くが歌川国貞、と歌川豊國の作品だが、江戸の昔からひとびとの心を奪い続けた名舞台、約10の外題を描いた芝居絵、大面(おおづら)絵50枚を並べている。

小さな金太郎に歴史を見る「壽曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」「助六由縁江戸桜(すけろくえんぎのえどざくら)」「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」「加賀美山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」などなど、どれもこれも幾度も幾度も観てきた名作大作。前夜の感慨がまた甦ってきた。

こうした浮世絵のいくつかを紹介したいのだが、こうした場所の悪例そのままに撮影禁止、展示作の絵葉書さえ売っていない。その点だけが残念。

「展覧主催者伝統吝嗇(へるもんじゃないだろうこのけち)」。

 

           ○

 

イタリア式リタイア術-佐山透この3月末までの約1年間が1冊の本になりました。「イタリア式リタイア術」というわけのわからないタイトルですが、自分で読み返してみてもなかなか面白い。
今日見本本が届いたばかりですが、数日後には書店に並ぶはずです。たくさんのひとに読んでもらいたいもので、もちろんこのHPの「MY BOOK」からも入手できます。

人格が高まり教養が深まり、のはずですよ。よろしく。

 

 

 

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