佐山 透(さやま とおる)ドットコム

WEEKENDLESS II - 11     

  俺の海だぜ

千葉県側、つまり房総半島でいえば、海に向かって牙のように突き出ている富津岬。神奈川県側ならば、浦賀の街の少し北、大津湾の少し南に位置する観音崎。このふたつの出っ張りを結んだ海上ライン。斜め右上、2時の角度で引いた線。これを平水線と呼び、ここから上を東京湾水域とする。

地図で見ると、東京湾はもっと大きく、さらにずっと南まで湾の形を示しており、この平水線はまだ東京湾の中ほどにすぎない感じもするのだが、威張っていわせてもらって、われわれシーマン、海の男たちからすればこのラインより先は東京湾ではなく、太平洋水域ということになる。

俺の海だぜ船舶免許を取得し、新艇、28フィートクラスのクルーザー、初めて自分の操縦で海に出たのが2週間前。その話は前にもうれしそうにレポートしたが、この2週間でさらに回数を重ね、梅雨時にもかかわらずほとんど1日、ふつかおきにクルージング。私のこののめり込みぶりを知っている仲間たちにはもちろん、知らずにいた連中にさえもわざわざ電話やメールで吹いている。

東京湾は、いまや俺の庭だぜ。

初めのうちは、浦安マリーナからほぼ真っすぐ南下して、風の塔を遠くに見ながら海ほたるそばの大きな橋をくぐり、さらに木更津寄りに南に降り、漁撈船が数多く浮かんでいる沖を抜けると、やがて現れるのが富津岬。そこから右に大きく舵を切り、東京湾を横切るようにUターンして横浜沖から羽田沖をめぐって帰る、というのが私の周遊コースだった。

なぜ富津沖で引き返したかというと、富津岬から遠い沖合に浮かぶ小島、第1海保と呼ばれる人口島で、江戸の終わりごろ海外から攻め込んでくる黒船に備えての大砲を設置した防衛の島。いまは海上保安庁か海上自衛隊のものになってはいるが、防衛の島であることは変わりない。その海保と岬のあいだの広い海域が、実は極端な浅瀬。干潮時には底の砂地が見えるほどになる。見えていれば誰も近づかないが、満潮時などうっかり通行しようとすると、がりがりと底を擦って乗り上げ、身動きできなくなる。意地悪な漁船など、その浅瀬の海にわざと底の浅い漁船を浮かべて大型クルーザーなどを誘導し、事故に遭わせて喜ぶという話もあり、その危険についてはじっくりいわれたものだ。

俺の海だぜだから、あの道から遠くに行ってはいけませんよ、といわれた子供のように、平水線の手前で引き返していたのだが、4回目のクルージングだったかな、第1海保手前で右に転舵して浅瀬を逃げたのち、沖の第2海保まで走り、海保とその先の猿島のあいだを抜けて南に下って、観音埼灯台を右に見て久里浜沖まで回ってみた。恐る恐るの遠出ではあったが、なんだ、大したことはないや、といった自信過剰も生んでくれた。

そんなとき、いまいったような東京湾の正確な範囲を知り、自分の短い期間の行動範囲がすでに東京湾を飛び出して、太平洋水域にまで及んでいることに気がついたのだ。すっかり気が大きくなった私は、いままで東京湾は俺の庭、と吹いていたのを直ちにいいかえる。

太平洋は俺の海だぜ。

そして小さな声でほんのごく一部ですけどね、とは付け加えるが。

俺の海だぜ前にも書いたが、沖を走るクルーザーのしゃれたキャビンに、オーディオからはモーツアルト。つまり、洋上のモーツアルト、を想像して、俺はなんと格好いいのか、とひとりにやにやしていたのだが、もちろんそれもやってみましたよ。実行に移してはみたが、やはりというか、どうもこれはいかんな、との結論に達したのだ。

まず、舵を握る私は、キャビンのの屋根の上、上部デッキに立って風と太陽を浴びている。だから、キャビンで優雅に流れているモーツアルトなど到底聴くことなどできない。でもキャビンの客たちには素敵ならいいではないか、といっても、あとで尋ねてみると。そういえばなにか音楽が聞こえてはいたけれど、エンジンの音は大きいし、船揺れは続くしで、なにもわからなかったよ、とのこと。このプランは惜しくも失敗だった。

俺の海だぜけれども諦めたわけではない。いまの私のクルージングは、ともかく沖に出て回転数3000以上、波を切り、風を裂いて走るという、男らしい、いやいや子供っぽいスポーツクルージング。これではモーツアルトどころでないのは当然で、やがて、ふっ飛ばしに飽きて、たとえばお台場のフジテレビ沖とか、レインボウブリッジ近くにアンカリングして船を浮かべ、キャビンの中やデッキに出て寝そべって、できればシャンペングラスでも傾ける。そんな大人の楽しみ方を身につけるようになれば、せっかく揃えたモーツアルトも、BOSE のオーディオも生きてこようかというものだ。

そういえば、といっても自分でいっているだけだが、クルージングを始めようかというとき、私は宣言したはずだ。

俺は東京湾のオナシスだ。

マリア・カラスもジャッキーもいないし、オナシスを囲んでいたはずの美女たちも集まりそうもないが、それでもいい。気分はオナシスだった。そんなときは来るのだろうか。多分来ませんね。

俺の海だぜそして、もう延べにして30人余りの客たちを乗せて海の上を走り回ったわけだが、いま急にふっと反省心が浮かんできた。私の誘いに乗って、あるいは熱心に希望して船の客になってくれたひとたち。陸に上がったときには、とっても楽しかった、どうもありがとうと口ぐちにいってはくれていたが、さて、本当にそうだったのだろうか。

おじさんの熱意に合わせて乗ってみた、またはもっと別の楽しさを期待して海に出た。ところが、おじさんは屋根の上でいい気持ちそうにしているが、自分たちはキャビンの中に坐っているだけ。おしゃれとはいっても3畳間ほどの狭い部屋で、窓は小さくて見晴らしはよくないし、見えたとしても低い位置からは波しか見えない。ビールやスプマンテはあっても船酔いが怖くて飲めない。ペットボトルのウーロン茶で口を湿すばかり。なんの因果でこんな目に遭っているのか。そうした気分になっているのではないか。

こう考えると、なんだかその昔、嫌がる店子たちに自分の下手な長唄か都々逸を無理やり聞かせる大家のじいさんのような気にもなってきた。

と、殊勝に反省はするのだが、その実いっこうに改まらないのが私でありまして、今回、6回目のクルージング。

観音崎をさらに南に下って、定置網が多いといわれる大きな金田湾を遠く迂回し、剣崎をも大回り。三浦半島の突端を更に西に進むと岬を過ぎた遠くに三崎漁港と城ケ島を結ぶ赤い大橋が見えてくる。そこいらに散らばっている定置網の群れに細心の注意を払いながら、それでも2600回転を保ったまま大橋に向かう。このあたりまで来ると、海の色も風の香りも、空の雲さえも東京湾とはがらりと違っている。キャビンのゲストたちも、下部デッキに出てはしゃいでいるようだ。危ないぞ。

大橋をくぐると港の中。港内最徐行。700回転。

構内はふたつの波止場に別れていて、ひとつは漁船専用だが、もうひとつがビジターバース。まず私が操縦席を離れ、キャビンの外をつかまり歩きで左舷に出て、まずふたつのフェンダー(緩衝用のブイ)を外に降ろし、係留のためのロープをクリート(ロープ止め金具)に結び付ける。フェンダーはアンカー結び、ロープはクリート結び。この2本のロープを持って桟橋に降りて、そこの留め具にはもやい結び。実技試験で覚えた技術も身についてきている。

再びハンドルを握って、今度は立ったまま、徐行前進、おも舵2周。ニュートラルに落として取り舵2周。流れと行き足にまかせて桟橋に近寄せて最後にバック、すぐ戻し。これで静かにバースに接して止まる。2本のロープを持って飛び降りて、手早くもやい結び。着いた、着いたと騒いでいるゲストたちの手をひとりひとりとって降ろしてあげて、私は再び船に戻って後始末。

うぉーい、うまくいった。われながら格好いいではないか。

俺の海だぜ三崎港はいうまでもなくまぐろ漁業の本拠地。3年近く前に、陸伝いで来たことがあるまぐろ専門の料理屋、咲乃屋の客になる。気のせいもあるだろうが、ここは本当においしかった。これからも来たいと、ゲストたちもいっている。また連れてきて。なんだ、お目当てはまぐろかい。

 

こうして私、キャプテン・テリーの庭はさらに広がって、東京湾から太平洋の遠きまで広がった。ここから先に回れば、葉山マリーナ、逗子マリーナ。大昔に森繁久弥さんに連れられていったことのある佐島マリーナもすぐ近くだ。来週にでもそこまで艇を進めるのは目に見えている。

よし、湘南も俺の海だぜ。

 

俺の海だぜ

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