佐山 透(さやま とおる)ドットコム

WEEKENDLESS II - 10     

  キャプテン・テリーと呼んでくれ

キャプテン・テリーと呼んでくれ櫛の歯のように並んでいるバース(桟橋)からバックで離岸する。

いや、その前にエンジンのスイッチを入れなければならない。まず左エンジン、続いて右エンジン。軽やかな振動が船全体に広がって、上部操縦席に立つ私にも快適な緊張感が湧いてくる。なにしろ初めてのクルージングの出発。もしかしたら私にとっての新しいなにかの始まりになるかもしれないのだから。

船は流れるようにバースを離れ、マリーナの中ほどに出ていく。いま私の船は完全に浮かんでいる。
マリーナの出口は左うしろ。少し迷う。このままバックで外に出るのか、車でいう、いわゆる切り返し、方向展開して頭から出るべきなのか。

キャプテン・テリーと呼んでくれそうだ。思い当った。左エンジンをバックに入れたまま、右エンジンをおもむろに前進に入れる。船はその場で静かに回転し始めた。こういう手があったのだ。これまで、といっても実技講習と実技試験での2回しか自分で操縦したことがないが、2回ともエンジン1基だけの小型ボートだった。ふたつのエンジンを操っての回転法など習ったこともやってみたこともない。自分の思いつきに私はすっかり満足していた。やればできるじゃないか。

幅10メートルほどのハーバーゲートを抜けて外に出る。エンジンは700回転。最徐行のまま。しばらく漂うように進んで、徐々に回転数を上げていき、1700回転。広いといってもまだ運河の中。そのくらいしか出せない。

300メートルほどゆっくり進むと、赤と緑、ふたつのブイに挟まれた運河出口。そこを抜けてやっと外海。大きく息を吸って、右手で握ったレバーをぐーっと前に倒していく。駆け上るように回転数は上がり、たちまち3000回転に近づいていく。操縦席の私にもGが掛かり、舳先が大きく波を切っていくのが見え、振り向くと船尾から白い引き波、航跡が長く伸びている。24ノット。対地スピードでいえば時速45キロほどだろうか。

キャプテン・テリーと呼んでくれ船は斜め右に進んでいる。200メートルほど離れた陸地には黒々とした岸壁が連なり、その先に殺風景な倉庫の群れ。浦安の千鳥岸壁はうす曇りの空のもと、眠っているかのようだった。

だが、そう思っていると、倉庫群の先にいきなり茶色の山が現れた。鋭く切りたった岩山は明らかに火山で、いまにも赤い火柱、噴煙を上げそうだ。

こういう角度から見るのは初めてだが、なるほどうまくできている。ディズニーランドかディズニーシー、そうか、いまはディズニーリゾートというのか。そのなんとかマウンテンは、海から見るほうが格好いいのではないか。

ディズニーの山は、どうやら荒川河口の左サイドにあり、船はその湾のように広い河口を横切って進む。そして河口の右サイド、ほとんど外海に突き出た岬の突端に、ただ1基、風力発電の風車が曇天をバックに背伸びしており、あれは昔何回か訪れた、そしてこれからもまめに行こうと思っているゴルフコース、若洲リンクスの先端だ。

キャプテン・テリーと呼んでくれその風車を合図にして、わが艇は舵を大きく左に切って、いよいよ東京湾の中央へと突き進んでいく。

実働4日、延べにしてなら3週間かけて、意外にあっさりとった船舶免許だったが、いざこうして実際に自分の操縦で海に出るまでには、意外に時間がかかってしまった。いや、合格から免許証が届くまでちょっと待たされはしたが、最大の問題は私の決断が遅れたことであった。

どんな船を買おうか。いや、その前に、買おうかどうしようか。

さらに、どういった船を選ぶべきか。係留するマリーナはどこにすべきか。

迷うネタはたくさんあった。

そしてさんざん迷い、行きつ戻りつし、いろいろなところに出かけたり、船の先輩たちに相談したりして、ようやくこの日の船出に漕ぎつけたというわけだ。すでにしていささか疲れてはいたが、私としてはやっと迎えた晴れの日。

ハーレタソラー、ソーヨグカゼーではないのが少し残念ではあったが。

 

キャプテン・テリーと呼んでくれこのような遊びのボートは、大きく3種類に分けることができ、まず車でいえばオープンカー、スポーツカー。屋根がなく平べったい小型ボートで、実際には5、6人乗りだが、背中に錨のタトゥーなど入れた男が傍らに水着の美女を乗せて岸の連中に見せびらかせる程度の沖を吹っ飛ばす。これがスポーツボート。私はカナダ製、マーキュリーエンジンの船外機を積んだ型を考えていた。

価格は新艇で約300万円。安くていいかなと思って、ほぼ決めかけていたが、調べてみるとこのエンジンは2ストローク、つまり2気筒。現在、2ストローク機は排ガス規制などのため、霞ケ浦、琵琶湖など、おもに汽水湖では乗り入れが禁止されており、エンジンそのものも新しくは作られていない。それを聞いて第一にあきらめた。

次は講習、実技試験でも使った、16フィートクラスの船。操縦席には屋根があるし、うしろにはふたり用3人用の客席もあり、岸近くを流したり、ちょっとした釣りなどに向いている、これが一般的なプレジャーボート。24フィートクラスくらいまであり、中には船首の下に仮眠用のベッドがついていたりして、たった2回ではあっても私としては乗り馴れた型だ。

しかし、いまいちなぁ。数人の仲間、できれば若いおねぇさんなどを乗せて、沖に停泊してシャンペンのグラスを傾け、オーディオからはモーツアルト。名付けて「洋上のモーツアルト」などと気取りたい。キャプテン・テリーと呼んでくれ。そんな妄想を抱く私としてはあくまでも物足りない。

こうして消去法で考えていって、行きついた先はやはり30フィートクラス。こぎれいなキャビンがあって、トイレ、クーラー完備。操縦席もキャビン内と屋根の上。写真うつりも考えてふたつついていてもらいたい。

だが、最大のネックはどうしても価格だ。このクラスのクルーザーなら、平均2200万。ちょっとオプションでもつけようものならすぐに3000万円に近づいてしまう。さらにマリーナ係留代、つまり駐車場代はメンテナンスも含めて月に30万から40万。格好つけて迷うふりはしたが、はなから無理。

うーんと悩んでいたときに、この決断時期に知り合った浦安マリーナのクルージングスタッフでインストラクター、若きシーマン、林辰之介くん。リースという方法もありますよ、という。

キャプテン・テリーと呼んでくれまずこれはちょっとお高いが、入会金を払う。そして本来なら1クルーズ数万円というレンタル料の、その倍額程度の月会費。それでリースメンバーになり、いろいろな事情から28フィートとなってはいるが実は30フィートの、かなり立派なクルーザーを、ガソリン代、こすったりしたときの修理代だけで好きなだけ乗り回すことができる。同じランクの船が3艘あるが、原則として自分の艇を決めることができ、連れていったおねぇさん、とは限らず友達たちには、マイボートだよ~ん、といばることもできる。

なにごとも格好から入る見栄っ張りなおじさんにはぴったりではないか。

 

キャプテン・テリーと呼んでくれこうしてこの日、“マイボート”による初の船出、My First Cruisingとなったのだが、ふつか前から海図やインターネットでしつこく調べた東京湾の地理、とはいわないか、やはり海図だな。浅瀬や大型船舶の航路、乗り入れ禁止海域などを頭に叩き込んで、浦安からほとんど真っすぐに東京湾を突っ切って、アクアラインが海中から現れる海ほたる横の大きな橋をくぐり、木更津沖から富津沖、浦賀水道を横切って横須賀は大津湾近くまで、ふっ飛ばしたり浮かんだり、面白く遊ばせてもらった。

3、4時間遊んで腹が減ったので、船首をめぐらせて横浜沖から羽田沖、大井埠頭から運河に入って品川岸壁へ。天王寺アイルの運河にテラスを出しているおしゃれなレストラン、T Y Harbor Breweryのバースに船を寄せた。

キャプテン・テリーと呼んでくれ中から係のひとが降りてきて、はい、この桟橋に頭から停めてください、オーライオーライをやってくれるのだが、このバース、隣との隙間が狭くて、30フィート艇ではなかなか難しい。というより、初心者の私には難しいというべきなのだが、屋根の上の操縦席に立って、前進後進を繰り返しながら苦労している私を、満員のテラスの客たちが笑って見ている。

格好つけるのもなかなか大変なのです。

けれども、初めてのクルージング、疲れ果てはしたが、思った以上に面白く、楽しく、よーし、明日の休憩をはさんで明後日また海に出るぞ。

「洋上のモーツアルト」もまだやっていないしな。

 

キャプテン・テリーと呼んでくれ

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