佐山 透(さやま とおる)ドットコム

2009 春

WEEKENDLESS PLAYBACK 6

A子が迎えに来てくれた

 

昨年と一昨年、続けて2本の小説を上梓した。展望社から出版した『ぶなの森の葉がくれに』と『想い出だけが通りすぎてゆく』だが、2作を通じてひとりの少年の5歳から20歳までの若い人生の軌跡を時代背景とともに描いたもので、これが私の最後の小説になるかもしれない。生きているうちに、ともかく書いておかねばならない、といった使命感のような気持ちで書いた作品だ。

読んでくれた多くのひとが、へぇ、こんなことがあったの、とか、佐山さんの本当の姿がわかった、などといってくれたが、自伝的なスタイルをとっているからそう思われるのであって、実はよくいう自伝率ならば6割程度のもの。4割、つまり半分近くがフィクションなのだ。

A子が迎えに来てくれた

作家がこのようないいわけ、説明をするものでないことは承知しているが、これがフィクションである証拠に、主人公の家族構成がある。

主人公の少年、津田紀男にはHという4歳下の弟がおり、両親と紀男とHの4人家族で話は進む。

しかし実際の私自身には、弟の下にもうひとり9歳離れた、元ピアニストのこの妹E子がいて、いまは普通のおばさんをやっている。ここまでは、親しいひとたちなら知っていることだが、私がこれまでほとんど誰にもいっていないある事実を話そう。

実は弟のHと妹のE子とのあいだにもうひとり、A子という名の妹がいた。4歳下と9歳下のあいだだから、私とは6歳か7歳離れていたはずだ。

私が小学校4年生くらいのある冬、3歳ほどだったA子が風邪をこじらせて入院した。内務省の高級官僚だったのが、公職追放、いわゆるパージで下野し、新しく弁護士としてスタートして数年の父親は忙しい日々を送っていたし、母親も、そんな夫と、私とHのふたりの男の子の世話に追われて、入院中のA子の面倒もあまり見ていられなかった。小さいA子は、ひとりで病院生活を送っていたのだった。

ある日、学校の帰りだったか、いったん帰ってからだったか、私はひとりA子の病院を訪ねた。

4畳半ほどの小さな病室だった。多分引戸だったと思うが、私が入っていくと、大人用の大きなベッドに、小さなA子が小さな小さな山を作って寝ていた。ずっと目を覚ましていたようで、私の顔を見るとにっこりと笑って、ああ、おにいちゃん、とつぶやいた。

私はベッドサイドの椅子に坐ったが、私もまだ小さかったので、坐るとA子の顔が見えない。仕方なく立ちあがってベッドにもたれた。

おにいちゃん。A子はもう一度つぶやいて、私の顔を見続けていた。

A子が迎えに来てくれた

なにを話していいかわからない。病気の妹を見舞う、などということに慣れていない私は、ただただ困って立ち尽くしていた。

ベッドサイドのテーブルの上に、食べかけのキャラメルの箱が、蓋を開いたまま置かれていた。私がそれに目をとめたのを見てA子は、おにいちゃん、キャラメル食べてもいいよ。そういった。私は一粒取り出して口に入れた。

それだけしか覚えていない。キャラメルの味も、A子になにかいったのか、どうやって帰ったのか、まるで記憶から抜け落ちている。

おにいちゃん、といって笑っていたあの見舞いの日から5日のちに、A子は死んだ。

60年近く昔の、遠い遠い思い出だ。

昨夜、その夢を見た。60年も見たことのなかった、A子の夢を見た。

迎えに来たんだな、と思った。A子がおにいちゃんを迎えに来た。

いま私は病院のベッドにいる。ここに来て4日たっている。入院の翌日が手術だったから、術後ふつかということだ。

胃がん、であった。

A子が迎えに来てくれた

がんなどかかるわけがないと思っていた。信じていた。

親戚家族でがんに侵されて亡くなったものはひとりもいない。がん家系とはいかなる縁もない。長生きするとは思っていなかったが、それでもいままでなにごともなく生きてきた。

死ぬときは、酒のせいだろうとは考えていたし、酒で命を縮めるのも悪くはないなという気もあった。要するに、死というものをなめてかかっていたのだ。

なめていたから、来るものならやって来い、というように酒を飲み続けた。
A子が迎えに来てくれた

胃が痛いとか、肝臓が弱っているとかの理由でいくらか酒を控えた時期がないではなったが、どうでもいいや、と開き直ったのはいつごろだったろうか。自分がもう晩年に差しかかっているという自覚が芽生えた時期と、それは重なっているようだ。

この2、3年酒量が増えたようだ。きつい酒はさすがに受け付けにくくなって、ワイン中心に代わってきてはいたが、量だけは確実に増えた。特に昨年の秋から冬の時期、パリ、そしてイタリアに長期に旅行していたときは、ワインの海を泳いでいたようなものだった。

A子が迎えに来てくれた

胃壁がかなりやられていますよ、といわれたのは、1か月ほど前の検査だった。年に1度は、といわれながらも3年前の帰国以来初めてとなる胃カメラによる検診でのことだったが、飲みすぎならしょうがないじゃないか、少し摂生すれば治るさ、と聞き流していたのだが、胃カメラ検診のついでに採取した胃壁の組織を、かかりつけの街の医師が独断でラボに出した結果、がん組織が発見されたというわけだ。

そんなの、多分間違いだよ、という私の尻を蹴るようにして、医師は私を都心の大病院に送り込んだ。そこで改めての胃カメラやCTスキャンやMRA。

胃がん、は間違いではなかった。

A子が迎えに来てくれた

手術、という大げさなものではない。内視鏡によるがん細胞の摘出。2週間ほどの安静と入院でまず治るだろうといわれたが、どうだろう。

おにいちゃん、とA子も迎えに来てくれたことだし、私としてはそれでもいいかな、という気持にもなっている。

しかし、病院に食事はどうしてこんなにまずいのだろうか。

 

○  

この「WEEKENDLESS」も、思えばすでに2年。初めはほんの気まぐれで始めた、というか、海外生活を終えて帰国してからの2年間、小説を2冊出版しただけでほとんどなにも書かなかったことへの欲求不満、常になにか発信し続けていなければいられない“ものかき”の宿命のからスタートした連載エッセイだったの、初めの1年分が冊の本になり(『イタリア式リタイア術』)、終わったばかりの2年目も近く出版されることになった(『イタリア式リタイア術・2冊目』)。  

だったらそのまま3冊目を目指せばいいようなものだったのだが、今回にも再録したように、16年間も一緒にいてくれたミンミンがあの世に旅立ったことなどが、私の心に大きな衝撃となってしばらくなにもする気がない。なにも書きたくないときが流れ、PLAYBACKといった形で逃げていた。  

このままなにも書かないひと、“元作家”で終わるのかな。それでもいいかな、と思ってもいたが、やはり“ものかき“の血はそれを許してくれない。  

もう少し休ませていただいて、新しくこのページを再開したい。  

そこでこれまでの「WEEKENDLESS」を、いささかキザに「振り返る旅、出逢う旅」とタイトルを変えて続行し、ちょうど羽仁未紗の『VIVA OPERA』もひと区切りついたことでもあるから、そのページをもらって、これだけは絶対に書かねばならないミンミンへのオマージュを「永遠のミンミン」と題して書いていく。  

そう決めた。

こうして立ち直る気分にさせてくれた大きなわけは、ミンミンの旅立ちの2か月のちに私たちのもとにやってきてくれたふたつの小さな小さな生命だった。2か月間はなんとか我慢できた私たちだったが、ついにこらえ切れず、これから先、多分私たちがこの世を去るときまで一緒にいてくれるはずの、ふたつの命を迎え入れたのだった。  

紹介しよう。  

フレンチ・ブルドッグのプーリーと、カニンヘン・ダックスフントのドゥージー。いまはまだ来たばかり。ほんの赤ちゃんだが、ぐんぐん成長している。  

少しのお休みのあと、このプーリーとドゥージーと、そして羽仁未紗も一緒に、ご惑でしょうが、お会いしたい。そう考えています。

だから、COMING SOON!

 

カニンヘン・ダックスフントのドゥージー フレンチ・ブルドッグのプーリー

 

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