WEEKENDLESS 37
ヴェルディ、プッチーニ、そして日本

新国立劇場のオペラ「リゴレット」には大いに期待して出かけた。
というのは、このオペラ、合唱は新国立劇場合唱団、踊りは東京シティ・バレエ団、そして東京フィルハーモニー交響楽団と来れば生粋の国産オペラに思えるが、主役の3人だけは知るひとぞ知る国際的なディーバ、ディーボ。これほどの3人を招いたうえでの「リゴレット」ならよもや手を抜いた舞台は作れないだろう。脇を固める日本人歌手たちも引っ張られて、力以上のものを見せ、聴かせてくれるに違いないと踏んだ。
オペラ歴30年、私の勘は見事に当たった、と自慢しているのだが、本当に期待以上の優れた舞台ではあった。
まずリゴレットのラード・アタネッリ。衣装の背にクッションかなにかを入れて“せむし”に扮しているのは、本人が堂々たる威丈夫であるだけにますます不自然ではあったが、身分、容貌に対するコンプレックス、怒り、不満、自暴自棄をこれほど力強く感じさせる歌唱は見事というほかない。演劇ならともかくオペラで、こいつ嫌な奴だな、と思うことはめったにあるものではない。
引き換えマントヴァ公爵のシルヴァ・ムケリアは、能天気なほどに明るい歌声で、悪気のない馬鹿、を演じて見せてくれる。この艶やかで陽気な歌は姿さえ見なければパヴァロッティを思い出させる、といえばやはりオーバーだろうが。
ジルダのアニック・マッシスは、いわゆるクェークボイス震え声が気になるが、整った美貌とスリム体形が純情で愚かな乙女ごころにかえってぴったり。
こうした3人に交じって4番目の主役、マッダレーナの森山京子はよく頑張ってはいるし、日本人としては高いレベルにいるとは思えるが、盗賊兄妹の妹、男をだまして金品を奪うというあくどさ、下品さはやはり無理かなという感じだ。ただ愚かで哀れな女になってしまった。まったく惜しい。
だがラスト近くに、リゴレット、ジルダ、マッダレーナ、それにマントヴァ公爵の4人がそれぞれ違うタイトル、歌詞で歌いながらも見事に調和するオペラ史上難曲中の難曲「リゴレットの四重曲」に思わず聞き惚れてしまったのは私ばかりではなく、近くからも「ブラビー!」の掛け声が幾度も続いていた。
この「ブラビー!」の主、上下真っ白のスーツに身を包んだ大きな身体の中年男だったが、ふた組の男女で来たらしく、開演前に通路を挟んだ連れに大声で話していた。
「主役のふたりの男はグルジア生まれだって。なんでイタリア人じゃないんだよな。ジルダだってフランス人だしね」
この日パンフレットを見て初めて知ったことらしく、このふたりのグルジア出身の歌手が、いまやイタリアでも人気を博している新星だとはご存じないようだ。ただ、オペラはイタリア人歌手のものという思い込みと、そうでないことに不満を感じる自分がいかにオペラに詳しいかということを、連れだけではなくまわりの大勢に聞かせている。そんな大声だった。
そんなひとでもこの四重唱には感動したらしい「ブラビー!」の連発。「ブラボー!」ではなく複数相手の「ブラビー!」はどこで知ったか感心だが、あまりにも大声で、得意げだ。もっとさりげないほうがまわりも感心しますよ。そして、イタリアやフランスのオペラ座のように掛け声をかけるのなら「ブラボー!」「ブラビー!」ではなく、「ブラーボ!」「ブラービ!」と発音すべきです。それが正しい。来日したオペラ歌手に聞いたことがあるが、日本の客は「ボー!」「ボー!」と叫んでいて怖かったそうだ。
いずれにしても無理な付け焼刃的知識は恥ずかしいというお話。もしかしたら俺のことかな。
中ふつかほどおいて、今度は九段のイタリア文化会館。地階のアニエッリホールでの「プッチーニ・マラソンコンサート」なるイベントに出かけた。
イタリア文化会館は、2年ほど前に新築なった建物だが、外壁の赤が周囲の景観を損ねると、地元住民などからクレームを受け、東京都の石原知事も文句をいったというものだが、石原さんは多分この建物を見てはいない。見ていたら、いいんじゃないかというはずだ。渋くて派出、という二律背反をうまく生かした素敵な赤ではないか。イタリア人のセンスの良さを感じ、クレームをつけるひとの感性を疑う。ある漫画家のユニークな住居も問題化されていたが、九段坂の住人たちも武蔵野かどこかの住宅地のひとたちも、自分たちがしがみついている価値観を侵された気になって腹が立つのかもしれないな。
それはともかくとしてプッチーニ。
オペラではなく「ジャコモ・プッチーニの女性たち」と題されたコンサート形式。プッチーニは生涯13のオペラを世に送り出したが、そのそれぞれからよく知られた女声アリア19曲を選び、数人の歌手が弦楽アンサンブルをバックに次々に歌う。そのプリマドンナたちを包むのは、プッチーニ初演のときのスケッチをもとに制作した舞台衣装。つまりあの時代を再現しようというもの。
「ラ・ボエーム」の「私の名はミミ」、「マダムバタフライ」の「ある晴れた日に」、「トゥーランドット」の「氷のような姫君の心も」といった大大有名アリアはもちろん「妖精ヴィッリ」「外套」などめったに聴けないオペラも聞くことができる。しかもすべて女心、恋心を、当時の衣装で歌ったもので「プッチーニの女性たち」の名に恥じない。
だから当然客席は女性であふれ、ほとんどが中年、高齢の女性だったとはいえ、日本のプッチーニ人気に改めて気付かされる。
アリーチェ・クインタヴァッラ、アントニア・チフローネ、マリア・ルイージャ・ボルスイといういささか2戦級だがイタリア、ヨーロッパで主役を張ったこともある3人に混じってふたりの日本人プリマドンナも参加している。
こうした催しでは歌唱内容にはあまり突っ込まないことだ。一種の発表会、サロンの親睦会だと思って親しくお付き合いすればそれでいい。
私はまだまだそうした集まりには入れてもらえないが、ミラノ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ローマなどには、このようなオペラ愛好家のサロンがいくつもあって、小規模なコンサートが、あるいはレストランで、あるいは誰かのお屋敷で、あるいは教会で、しばしば催されている。そうしたサロンを日本でも根付かせようと、イタリア政府の出先機関でもあるイタリア文化会館が始めたのだが、観光目的の政府の肝いりというのが、イタリア政府であってもいかにも日本的だ。おかみが音頭をとらなければ始まらないのか。
そして、招待されながらいうのもなんだが、このようなサロンに集うひとたちがそこはかとなくかもし出している「あら、××さんの奥様、今日はお見えにならないのかしら」的な妙なエリート意識。途中の休憩時間に文化会館館長のウンベルト・ドナーティさんのあいさつを受けながら、さすがにおいしいイタリアワインをいただきながら、そのようなくすぐったい気分を感じとらずにはいられない私でありましたとさ。
「リゴレット」のあの白スーツのおじさんといい、「プッチーニ・コンサート」の奥様たちといい、日本にオペラがほんとうに溶け込むには、まだいくらかの時間が必要なのかもしれない。

