終活
いつまで生きるのか
先日の誕生日で、七十九歳になった。
ほとんど毎日、夕刻になるとプーリーを連れて浜や住宅街を歩き、そのあと「エスメラルダ」に立ち寄る。
テラス席で三、四杯飲み、軽いおつまみか小皿料理を食べ、ひとり暮らしの部屋に帰る。
以前なら、そのあと近くの店に飲み直し、食べ直しに出かけることが多かったが、いまは雨が多いということもあるが、そのまま部屋で過ごすことのほうが多い。
夜ばかりではない。
昼間も、プーリーの散歩以外はほとんど部屋にいる。
部屋で、テレビのスポーツ中継などを眺めているか、古い美術本を見直しているか。
まったくの独居老人の暮らしだが、そんな日が続いていても、私の気持ちは不思議なほど落ち着いている。
このまま最後の日まで、なにごともなく続いていっても、いっこうに構わない。
かえってその方がいい。
なにか、ようやく訪れてきた、平穏な日々のような気がする。
こうした中で、私は七十九歳になったのであった。
葉山のいくつかの浜で、一斉に海開きが行われた。
私の部屋のすぐ目の前に広がる森戸海岸も例外ではない。
数週間前から、森戸海岸にはいくつもの海の家の建設が行われており、材木を組み上げ、床を敷き、屋根を張り、目の前の砂浜をトラックの車輪が掘り返し、浜は、確実に夏に向かっていた。
私も、散歩の途中で、そうした海の家のオーナー、スタッフたちと、
「一年経ったねぇ」
「今年もよろしく」
などと挨拶していた。
去年も一昨年も、「ノアノア」初め、いくつかの海の家が、私とプーリーの時間つぶしの場所だった。
待ち望んでいた、とまではいわないまでも、楽しみにしていた海開きの日がやって来た。
寂しい海開きだった。
数日、梅雨入り以来少しもやまない、しとしとと音もなく振り続ける冷たい雨で、森戸の浜にひとの姿はほとんど見えない。
濡れた浜を、パーカーのフードを立て、プーリーを引いて歩く目の前で、立ち並ぶ海の家は、どの店もほとんど客の姿はない。
顔なじみのオーナー、スタッフたちが所在なげに坐っているのが見える。
私に向かって手を振ってくれるひともいるが、手招きまではしない。
海開きの初日に、私がまず「ノアノア」の顔を出すことが分かつているようだ。
だが、その「ノアノア」も開店休業状態。
白いテーブル、いすが並ぶテラスにいるのは、オーナーのシュウちゃんと奥さんのアキちゃん。
ふたりの客がいる。
と思うと、去年この店を手伝っていたスタッフのひとりとその友人らしき男性だ。
仕事ではなく、友達として、おめでとう、といいに来ているそうだ。
そこに私が加わったのだが、身内だけ感が濃い。
テラスの、浜に面したカウンターに、彼らから少し距離を置いて坐り、アキちゃんが慣れない手つきで作ってくれたウイスキーの水割りを二杯飲んで、私は浜をあとにした。
彼らも、店を閉めたそうにしていた。
「ノアノア」は翌日、休業していた。
休業は数日続いた。
ほかの海の家も、似たようなものだった。
雨は、降り続いていた。
昼間、「エスメラルダ」に行った。
プーリーなしの「エスメラルダ」は、珍しい。
「耳ツボ体験会」を受けるためだった。
東京で「イヤービューティセラピー」を主宰している女性が、「エスメラルダ」の一角を借りて行うデモンストレーション。
「耳には220ものツボがあり」
「耳ツボを刺激し、金属製のシールを貼ることで血流を促し、代謝を上げ、体内の老廃物を流しやすくし、眼精疲労・肩や背中のハリ・良性睡眠など」
さまざまな効果がありますよ、というのを読んで、私もひとつ、という気分になったのだ。¥店内の奥のテーブルに着き、セラピストに頭を任せる。
両耳のいくつもの「ツボ」に、次々と、小さな、小さなシールを貼っていく。
ピアスのようなものかと思っていたが、チクリとの痛みもない。
うんと小さなピップエレキバンのようなものだろうか。
三十分ほどで終わり、
「今夜はあまり飲まないでくださいね」
といわれたが、その言葉を思い出したのは、「あまり」飲んだあとだった。
なにごともなかった。
それから数日、身体にはなんの変化も現れなかったが、弊害もなかったのだから、ま、よしとしよう。
暇つぶし、でもあった。
二日のち、整体治療に行った。
葉山整骨院
二年余り前、腰痛がひどくて何度か通ったが、その痛みがなくなってなんとなくやめていた。
最近、坐ったきりの生活が多いせいか、腰痛が戻って来た感じがするので、久しぶりに出かけた。といっても歩いて五分のところだが。
ベッドに横になって、腰に電気を当て、ブーン、ブーンと十分ほど。
腰に軽い痺れが残っている感覚の中、両脚、腰、背中、両腕を、ストレッチ、マッサージ。
身体がすっかり軽くなった気がして、お礼をいったが、これも気のせいかもしれない。
こうして見てみると、なんだ、私は結構身体に気を使っているではないか。
いや、そうではないのだよ。
七十九歳にもなって、そんなことはない。
いつ死んでもいい。
ただ、みっともない死に方だけはしたくない。
そう思っているのです。
飲み過ぎのせい、でもいい。
ひとに迷惑をかけるような、こちらが加害者になるような形でなければ、交通事故でもいい。
心筋梗塞でも脳出血でもいい。
あっという間に、ぽっくり逝けるのなら、いい。
いやなのは、死にそうで死なず、ぐずぐず生き続けること。
寝たきりや、意識のない病人。
延命装置をつけられての長生き。
これが一番困る。
自分の部屋で、ある朝、起きることもなく、逝っている。
これが理想の「最後」。
だが、そうなったときに、困ることがひとつある。
私がひっそりと死んでいったあと、もし部屋にプーリーが残っていたら。
私ひとりの「自然死」、「孤独死」。
これは構わないのだが、プーリーまで付き合わせられない。
そう考えて、私は「セコム」のあるシステムを利用することにした。
セコムみまもりホン
小さな携帯電話、スマホのようなものを常に身辺に置いておく。持ち歩く。
そしてなにかのとき、呼吸が止まったとき、心臓が動かないとき、熱中症などで、ああ、もう駄目だ、と感じたとき、
「みまもりホン」のひもをぐいと引く。
セコムからすぐに電話がかかってきて、
「どうしました?」
できるものなら、そのときの状況を説明するが、できないとき、誰も電話に出られないようなときには、セコムが駆けつけてくれる。
しかるべきところに運び込むなりしてくれる。
そして、私にとって大切なのはここからで、私を運び出すときに、登録してあるひとに緊急電話を入れてくれるのだ。
私の場合、それはペットシッターの山口治美さん。
治美さんには前もっていってあるので、すぐにではなくてもいいから、プーリーを連れ出しに来てくれることになっている。
運び込まれて、すぐに死んだら、それはそれでもいいが、そのまま入院、ということになれば、というときのために、下着、寝間着などを紙袋に詰めて、クローゼットにしまってある。
さらに、経理的なこと。
入院費用などのこと。保険のこと。
死亡後の諸手続き。遺産のこと。
などは、すべて司法書士に任せるように手配は済んでいる。
これらが、私の「終活」。
これで、まず安心だろう。
そう思ったせいなのか、ここしばらく、かえって健康になったような気がする。
困ったものだ。
海開きから数日たって、久しぶりの夏っぽい日差しが訪れた夕方、「ノアノア」に立ち寄った。
テラスのカウンターに座って、前に広がる海を眺め、考えた。
七十九歳。
来年は八十歳。
私は、いつまで生きるのだろうか。